犬との因縁~スリランカ医療事情
それは、2016年8月の、ある晴れた昼下がりのことでした。
滞在している弊社センターに併設されている農園にて農作業。
鍬を担いで、いつものように草刈りにでかけます。
何せ、一年中「夏」のスリランカでは、雑草が伸び放題!
草を・・・ひいてもひいても、追いつかーん、泣。
・・・と、後ろから。
愛くるしい顔の犬たちがこちらを目指して走ってくるではありませんか。
彼らは、センターに滞在している(というか、勝手に住み着いた)犬たち。
なので決して野良犬ではないのすが、ほぼ限りなく野良犬に近い状態で育っています。
日本では、野良犬あんまり見かけなくなりましたねー。
スリランカには、めっちゃいます、野良犬。
そう、ここは南アジア。
忘れてはならないのは、狂犬病。
センターに滞在している犬たちは
めちゃくちゃヘルシーに毎食カレーを食べて育っていますが、
(※スリランカの犬は、カレーで育つのです・・・玉ねぎとか入っているけど大丈夫なのか・・・)
万一のことを考えて、犬には触らない、遊ばない、そしてなめられない!
野良犬には、愛情をもって、でも毅然とした態度で接しましょう。
しかーし、その昼下がり。
どういうわけか、ある一匹の犬がいきなり私の太ももにかぶりついたのでありました。
・・・といっても、甘噛み程度で、カスレ傷。
だけれども、ここは南アジア。
忘れてはならないのは、狂犬病。(リピート)
はい。そこからが大変。
犬にかまれたことより、そのあとの対処のほうが大変。
なにせ超絶田舎にあるセンターでして、
外国人はどこで狂犬病予防の注射を受けられるのか!?
スタッフ①「設備の整っている私立病院にいくべきだよ」
スタッフ②「でもCHISAは外国人だから、きっと特別高い料金とられるよ」
スタッフ③「政府病院って、外国人OKなの?」
・・・と、謎だらけ。
はい、ここで、スリランカの医療事情についての基礎知識。
スリランカには、政府病院と私立病院があります。
政府病院:すべての医療費が無料。ただし混む。設備も古い/衛生面が不安な点も。
私立病院:すべての医療費が有料。新しい設備が整い、名医も数多くそろう。
ということで、私が日本人であることを考慮し、スタッフはまず私立病院に電話をかけたのでありました。
結果、すべての狂犬病ワクチンは、政府病院のみに取り扱いを限る、ことが判明。
これは、貧困層の方々が犬にかまれて→お金を理由にワクチン接種を受けられない、という事態をなくすために、政府がとっている方針だそうな。
しかし、私は外国人。果たしてその接種方法は?はたまたいくらかかるのか?
ドキドキしながら、車で片道一時間、アヌナーダプラの都会にある、
ティーチングホスピタルに行きます。
※ちなみにここは、医療技術向上のために日本政府の補助によって建てられた政府病院。スリランカ各地からナースやドクターが学びに来ます。なので、日本人にとてもやさしい(気がする)(*´艸`*)
病院に行くと
①まずは、受付。名前と年齢、それから目的(診療科)を告げます。
CHISA「CHISAです。犬にかまれました」
スリランカナース「CHEESAですね」
CHISA「CHISAです。CHEESEとPISSAの掛け合わせみたいな名前です」
スリランカナース「あー。CH”E”SAですね。年齢は?」
CHISA「・・・はい、CH”E”SAです(諦め)。29歳です」
スリランカナース「独身?」
CHISA「・・・はい(関係ないだろ、苦笑)」
②その後は、内科で診察です。
アレルギーの有無や狂犬病のワクチン接種歴等、きちんと丁寧に聞いてくれました。
専用の狂犬病ワクチンカードに記入していきます。
(しかし、ここでも名前はCHEESA、なぜだ(# ゚Д゚))
③いよいよワクチン接種。両方の二の腕に「ぴっ」と、1回ずつ注射です。
ワクチン歴なし、噛まれてから接種の場合は、
犬にかまれてから24時間以内に1回、3日後に1回、7日後に1回、14日後に1回、1ヶ月後に1回・・・と続くそうな。
ただし、犬が元気な場合は、最後の1回は打たない場合もありとのこと。
④ワクチンカードに必要事項記載→犬を観察する旨伝えられ、帰宅です。
2週間後。
犬は、めっちゃ元気にカレーを食べているので、私は最後の1回のワクチン接種は免除でした。
さて。気になる医療費。
日本で打つと、おそらく数万円はかかるであろうワクチン(輸入のため割高)。
さあ、4回も打った私の総額医療費は・・・
すべて無料!!!!!!(驚)
えー税金、消費税(高いけど)くらいしか納めてないけど、いいんですか??
スリランカのために働きまーす!(ワクチン代くらいは)
って思っちゃうくらい、外国人にも超医療福祉国家なのでした。
===
余談。
後日、私の誕生日(9月28日)が世界狂犬病予防デーだと知って、( ´艸`)笑。
何かの因縁か?カルマなのか??
===
ただし、政府病院は激混みです。
受付に並ぶところから最後のワクチンまで・・・3時間くらい?
しかし、実に毎日多くのみなさんが、ワクチン接種を受けにきます。
しかも、ワクチンは外国の製薬会社から輸入のため、スリランカ政府はいったいいくらの予算をワクチンに費やしているのだろうか・・・。
2016年春頃から、いよいよ政府も野良犬対策に乗り出したようで、巨大・一区画に野良犬たちを集めているそう。
そこでの費用は、愛犬家の寄付によって賄われているようです(たぶん、政府も予算を出していると思いますが、私が情報の確証をとれていません)。
日本の保健所のように「殺処分」はしないと聞いています。
ま、しかし、野良犬は減ったという感じは・・・しない!
↓センターの犬にも赤ちゃん誕生・・・そして、このように触ってはいけない。
ドクターもきっと疲れることと思います。。。
そして薄給。
だから腕のいいドクターは私設病院にいってしまうのね。
私設病院では、ドクターは自分で診察料金設定をすることができるそうな。
そういえば、スリランカで動物病院はどうなっているのでしょうか。
また、そのあたりの事情が分かればブログに更新しまーす。
それでは、今日もよい一日を。
スリランカお手洗い事情~女子の皆様へ告ぐ
外国に行った際、旅行者でも長期滞在者でも関係なく直面するのがお手洗い問題。
何せ、日本はお手洗い過剰サービス国!(*´▽`*)
いまや、どこでもきれいなお手洗いが当たり前に使用できる時代です。
では、スリランカは?
渡航前に、ええ、一応、現地のお手洗い事情についてはネットでサーチしましたとも。
某社の『地球の◎き方』なんかも読んでみましたとも。
し・か・し・・・
欲しかった肝心な情報がない!
え?和式か洋式か?
→コロンボでは洋式タイプが増えています。田舎ではまだまだ和式タイプが主流。
和式の場合は、トイレのなかにバケツが置いてあるので、自分でバケツに水をいっぱいにしてそれを便器にざーっと流してきれいに。
ええ?使用後の紙か水かの話?
→日本では使用後に紙でふき、便器に流してOKですが、スリランカでは、紙をそもそも使う習慣がありません。洋式の場合、水鉄砲みたいなハンドシャワーが備わっているので、それを右手にもち、左手でお尻を清潔に洗います。なのでどうしても紙を使いたい場合は、使用後はタンクに流さず、汚物入れに捨てるか、汚物入れがない場合は自己責任で持ち帰りましょう。
※日本で売っている「水に溶ける/水に流せるティッシュ」が便利。
→いや、ほしかったのはこの情報ではないのです。
それは、生理用のナプキンについて。
現地ではどんな種類のものが手に入るのか・・・?
使い捨てナプキン?それともタンポン??
そして使用後どのように処理すればいいの?
はい。すべて謎のまま渡航し、超田舎生活をスタートさせたのでした。
日本では、通常販売されている使い捨てのナプキンを使っていた私。
スリランカ滞在開始後、初・生理のシーズンを迎えることに。
しかし、困りました。そこでは汚物入れがなかったのであります。
CHISA「ねぇねぇ、どうやってナプキン捨てればいい?紙袋とかに入れて、使用後は外にある公共ゴミ箱に捨てればいいかな?燃えるゴミ?燃えないゴミ?」
スリランカガール①「ノーノー。使用後は、細かくちぎってトイレに流すんだよ」
CHISA「WHAT!?」
スリランカガール①「だって、外にあるゴミ箱に捨てると、犬が食べるから」
CHISA「・・・・」
ガール①から情報を得るのはあきらめ、若いガール②にも同じ質問をすることに。
(若い世代はきっとナプキンについての教育をうけているだろう・・・と予測)
スリランカガール②「あー。私も困ってて。私はシティ(地方都会)に家があるから、使用後のナプキンは家に持ち帰って、そこでごみ回収に出してるんだよね」
CHISA「・・・(わたしゃ、どうすればいいんだ)・・・」
ということで、女子スタッフのお局様にお願いして、緊急ミーティング(女子会)を開いてもらったのでした。
CHISA「あのー。生理ナプキンのことで相談です。現在このセンターで、統一された捨てられ方がないので、ルールを一緒に決めませんか?」
スリランカガールズ「捨てたいんだけどね。犬がね」
スリランカレディ「そう。血の匂い?で寄ってきちゃうのよ、犬がね。だから私は、裏庭でこっそり燃やしてるの。」←ときどきあがる謎な煙はあなただったのね・・・ってか、ダイオキシン・・・汗;
スリランカガールズ「そうそう、犬よ、犬・・・(以下シンハラ語で犬に関する話題に転換)」
CHISA「・・・」
しかし、さすがに毎月のことになるのでわたしも、そこは諦めませんでした。
代替案がないかと模索しているうちに、偶然コロンボで出会ったのがこのナプキン。
↓日本人女性が立ち上げたスリランカ・初の布ナプキン会社なのです。
うん、これなら、ゴミがでない!犬も食べない!
使用後は、
水かぬるま湯に付けおき→手洗い(なにせ、洗濯機がないので)→日干しでOKです。
匂いも気になりません。
とはいえ、布ナプキン初心者の私は、使い捨てナプキンと平行して使用しています。
出張等で洗えない日が続くと予測されるときは、使い捨てと交互に。
田舎のセンターに滞在するときは、布ナプキンで。
何せ、ずぼらな私は、無理なく続けたいので( ´艸`)
実は私、使い捨てナプキン&夏の汗でめちゃくちゃ肌がかぶれていたのですが、
布ナプキン万歳!かぶれなーい!!!
そして生理痛も軽減された気がする!!!(→痛み止め薬を飲む頻度が軽減)
これは嬉しい副産物でした。
(あ、あと犬にも罪悪感がない気がする!?)
ちなみに、スリランカで手に入る使い捨てナプキンは、めっちゃゴワゴワ。
薄型スリム♡なんていう、おしゃれなものはないのです。
もちろん「え、タンポン、何それ!?」の世界。まず手に入りません。
29歳で布ナプキンデビューを果たしたので、
あと10年くらいはお付き合いしたいと思います。
しかし、スリランカの女子お手洗い教育はどうなっているのでしょう・・・
みんな、恥ずかしいのかな、この話題をシェアするのは、と思っていたら、
女の子が初潮を迎えた際には、村人を招いて盛大にパーティーを行う文化も!
スタッフ「CHISA、パーティー行くよ、カレー食べ放題だよ」
CHISA「え、行く行く!なんのパーティー?」
スタッフ「八百屋の娘さんが、初潮を迎えたパーティーをお宅でするんだよ。あ、ほんのちょっと、お金を包んでね。あとで娘さんに渡すのがマナーよ」
CHISA「ほ、ほう・・・」
八百屋のお宅のトイレが詰まったり、犬問題にならないことを願いつつ、
パーティーの夜は更けてくのでありました。
ということで、スリランカにご滞在の際には
女子の皆様、布ナプキンのご持参(または購入)なんかもおすすめします。
※コロンボではGood Market Shopにて、モミジ・ナチュラルさんの布ナプキンを購入可能です。
スリランカで働くもうひとつの理由、仏教
さて、前回長々とスリランカ民間会社を就職先に選んだ理由を記しましたが・・・
↓こちら。
これは、THE 「表」の理由。
物事には何かにつけて表と裏がある・・・ってことで、今回はスリランカで働く「裏」の理由を書いていきます。
えーなになに。どんな裏取引やってるの、はたまたスパイか!?
ってことではないので汗、悪しからず・・・。
はい、タイトルにもあるように、スリランカで暮らしてみたかった裏の理由は、仏教。
実は私、生まれ育ったのが日本の田舎のお寺、父は住職、という経緯で、仏教になじみ深く育ってきたのでありました。
「仏教?ん?それってお釈迦様が悟りをひらいてどうこうっていう宗教?」
はい、その仏教です。
ところで、食品会社関連に「食品新聞社」なるニッチ団体があるように、仏教という業界にも、かなりコアな団体がいくつも存在します。
例えば、
仏教青年部・婦人会など・・・その名の通り、青年や婦人のみが所属活動できる
布教部・・・お経や仏教の教えを広めるための考案委員会的なもの
INEB・・・Internatinal Netork of Engaged Buddhistの略で、非営利活動や環境問題・社会問題に取り組む仏教者の世界レベルでのつながり
などなど。
で、私はこのINEBという団体の会議運営のお手伝いをしたことがきっかけで、大学生のころから日本や世界の仏教徒の友人や先輩がたくさんできることになります。
彼らの生き方や考え方に影響されて、仏教という視点をもって外国を見てみたいな、と思ったのがそもそもの出発点。
スリランカは国民の70%が仏教徒ということもあって、私的には「うまー( ´艸`)」な国なのでした。
で、その仏教。
具体的にはこんな見てみたい・知ってみたいポイントがありまして。
①他の国の仏教の”リアル”を体感して→自分にとっての仏教を見つめなおしたかった
実は日本の仏教(お寺や僧侶)って、他の国の仏教からすると、かんなり特殊な発展形態をとげて今日に至っています。
・なんでお坊さんって結婚できるの?
・肉とか酒とか・・・そもそも禁止じゃないの?
日本の仏教への疑問あるあるですね。
仏教徒や僧侶が守る生活基盤を「戒律」というのですが、日本仏教は近代化の過程でこの戒律を意識的・無意識的に失ったりなくしたりして、現在にいたっています。
→じゃあ、それはもはや仏教なのか?
→いや、そもそも私にとっての仏教って何なのか?
ここからマニアックな話。
いわゆる仏教には、大別して①上座部(テーラワーダ/南伝)仏教と、②大乗(マハヤーナ/北伝)仏教があります。
①上座部仏教は、戒律を守り、出家者(僧侶)と在家者(僧侶以外)の区別をしっかりと行うことで、在家者は悟りを開くであろう僧侶に布施をし、徳をつむという仏教です。
対して②大乗仏教では、僧侶も在家者も悟りを同じくひらけるとうたう仏教で、戒律よりは慈悲のこころや施しを行うことを重視する教えが根底にあります。
日本は②の大乗仏教が主に伝わった国。そしてスリランカは①上座部仏教。
スリランカという異国の地の仏教のリアルを見て、体感して、
「仏教とはなんぞや!?」を考える機会を持ちたいなーと思っていたのでした。
②お寺とかお坊さんとか、どうやって社会とかかわってるの?
お寺とは・・・
本来、誰もが自由に出入りできて。
うれしいときも、悲しいときも、困ったときも、怒ったときも、
ぷらーっと立ち寄れば、そんな感情を、お坊さんやそこに集う人びと、もしくは仏様やお墓のご先祖様と自由にシェアできる公共空間・・・
であった!そしてそうあるべきだと思っているのですが、みなさんどうでしょう?
日本では、昔から地域行事や仏事を通じてお寺に集まり、祈り、そこで生まれたコミュニティメンバー同士が助け合うという機能(Function)がありました。地縁・血縁を通じた共同体ってやつです。
それが失われかけている今、ちまたでは「葬式仏教」(←葬式しかしない寺院と僧侶)っていう批判(!?)用語も存在し、はたまた、過疎にあえぐ田舎では、お寺や地域そのものが消滅するとか云々。。。
最近では、”社会に寄り添うお寺”のようなコンセプトで、
こども食堂や、路上生活者支援、サマーキャンプのような社会活動を行っているお寺もあります。
内戦終了後、社会が経済発展に向けて目まぐるしく成長する過程で、
スリランカのコミュニティ自体はどうなっているのでしょうか。
そこに、お寺や僧侶はどのように関わっているのでしょう。
これらを感じるためには、やはりその土地に住んで、ある程度時間をかけて物事をじっくりと見る必要があると思います。
ということで、2年間かけて、スリランカの仏教の”リアル”、
あくまでも私が感じた”リアル”ですが、
これからブログにてぽつぽつ書いていこうと思います。
では、今日もよい一日を。
2018年 コロンボから、あけましておめでとうございます
2017年の年越しは日本で迎えました。
ということで、2018年はスリランカ・コロンボで過ごす初のお正月。
あっという間の二年間、色々ありました・・・うーん。灌漑深い。
そしてここで出会った皆さんに、お世話になりました。
なんて思っていた2017年の大みそか。
どんな年越しをここでは過ごすのかしら?
「CHISA、絶対寝られないから、笑」
とスリランカ在住インド人に脅され、どきどきしながら、自室でカウントダウンを迎えます。
そして日付が変わったころ・・・
パンッ バンバンバン
ヒュー ドドド ドーン
あちこちで打ちあがる花火、クラッカーの音・・・
もちろんみんな好き好きに鳴らすので、それはもう、カオス状態・・・
およそ40分近くにわたりつづくこの音たち。
ね、寝られない・・・ぜったいお正月の夢は悪夢だわ。
(とかなんとか言って、ぐっすりその後熟睡!)
ちなみにスリランカ人の伝統的なお正月は4月中旬。
土でできたポットにミルクもしくはミルクライス(乳粥)をいれて煮立てます。
なんでも、この儀式は、その年の縁起のいい方角をむけて、その年の縁起のいい時間に煮立て始める必要があるそうで。日本の恵方巻みたいですね。
普段は時間を守らないスリランカ人も、このときばかりは、時計を実に気にする!
ひたすらミルクが吹きこぼれるのを待ちます。
↓ミルクがわーっとなったところで、新年おめでとうということで。めでたし。
そのあとは、お正月のご飯のキリバットやお菓子↑をたべて、お祝い。
そうそう、目上の人(上司や両親)からは、新しい服のプレゼントを贈ったりもして、ようやく新年モードになるのです。
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あと1ヶ月経てば私も拠点を日本に移します。
2018年、どんな年が待ち構えているのでしょうか。
みなさまにとって、平和な年でありますように。
今年もよろしくお願いいたします。
非営利組織で働いていた私が、民間会社をスリランカ就職先に選んだ理由
ちょっと真面目な人生の話。
大学院卒業後~渡航前、私は2つの公益財団法人で働いていました。
戦前・戦後直後に仏教界の方々によって、社会のために行う慈善事業を目的に設立された、由緒ある財団です。
東日本大震災直後に就職ということもあって、その当時の仕事内容は、
①震災関連事業(こころのケア、奨学基金設置など)
②コミュニティ再生事業(被災地ならびに過疎地域)
③国際協力事業(インド・ミャンマーのこどもたちへの教育支援)
④会計主任
などなど、いわゆる「非営利」事業を中心に担当させていただきました。
そんな私が、なぜスリランカの民間会社で働くことになったのか。
理由①「非営利」組織への限界も感じていたから
非営利事業とはいっても、そこで働く職員にはその人の人生もあり、家族もいます。そして事業遂行への責務や対価は、株式会社であっても非営利事業であっても変わるものではありません。では、非営利組織はどのように組織運営(事業計画・会計運営)をしているのか。
会社であれば、例えば物を販売し、その利益でもって、社員の給料・次年度の事業計画や予算へとつながっていきます。
非営利組織の場合は、その財源は「寄付金」や「助成金・交付金・補助金」がほとんど。職員や法人は、公募される助成金へ応募書類を提出し、それが通れば事業の財源確保ができるという仕組みです。しかし助成金は、現在では1年~数年単位の任期付き・使い切りのものが多く、各団体、必死になっていろんな助成金に応募されているようです。助成金で足りない分は「寄付金」で補ったりするんですが、寄付とはそもそも善意から生まれるものですし、景気によっても左右されます。
もちろん、非営利組織であっても、「営利」事業を行い、その利益を「非営利」事業へと分配することで財源を確保している法人もあります。しかしやはり非営利組織という手前でしょうか、そんな暴利を働くことは(モラル的に)「うーん・・・」となるみたいで、毎年営利を安定的にあげることができる団体は・・・果たしてどれほどでしょうか。
震災支援、コミュニティ再生事業や、ミャンマーの子どもたちへの未来・・・・
「もしも助成金がとれなかったから、この事業は1年で終わり。自分や他のスタッフの給料もでない」
という状況に、悶悶とした気持ちを抱えていたのでありました。
(上司は悶悶どころではなく、相当なプレッシャーだったことと推察します)
・・・と、前置きが長くなりましたが、つまり、日本の非営利組織は、長期的にみたときに組織運営上ものすごく不安定!・・・な感じが否めず、一度は民間会社で働いてみたいと思っていたのです。
理由②世界的なリーダーのもとで、組織運営を学んでみたかったから。
そんなとき、「スリランカで働いてみたい?」と私に声をかけてくれた民間会社の会長さん。
実は、彼はスリランカで1番有名な非営利組織で数十年働き、その後独立し、自身の非営利組織を立ち上げます。その直後に発生した数々の自然災害(インド洋津波)やスリランカ内戦(最後の激しい戦い)・・・によって組織に何がおこったのか。
寄付金バブル。
海外から、ものすごい金額の寄付金・助成金が舞い込み、組織・事業やスタッフ規模も国内中で拡大しました。スリランカでは、インフラは整い、被害を受けた人々の家も建ち、生活の基盤ができ、「Middle-Income Country」(中所得国)と呼ばれるように。
結果、何が起きたか。
もはや寄付金はこない。
そうです。事業は終了し、公募できる寄付金もなく、スタッフは去り・・・。
日本と同じですね。
そしてさらに悪いことには、住民たちが会長の非営利組織・事業寄付金を”あて”にする癖がついてしまったこと。
「どうせ俺たち、一生懸命働かなくても、あの組織が海外から寄付金もってきてくれるから大丈夫~」(←おい!)
ということで、会長は、非営利組織は残しつつも、その規模をぐーーーっと縮小し、民間会社を立ち上げます。それが私が入社した会社。
こんな波乱万丈な、酸いも甘いも経験された会長のもとで直に働けるチャンスはそうないと感じた私は、2つ返事で「あ、はい、スリランカ行きます」と回答したのでした。
③住民”へ”の事業ではなく、住民”と”の事業を模索したかったから
いわゆる「社会的企業」「ソーシャルビジネス」って言うんでしょうか、日本では。
社会問題の解決を目的に、収益事業にとりくむ法人や事業をさします。
私が入社したスリランカ民間会社もそれにあたります。
私は、W県の田舎出身、まわりは農地、過疎万歳!という状況を経験し、東京の大学・大学院で学び、働きました。
大学当時から「絶対に将来は田舎に帰る」「でも田舎の閉鎖的な空間は嫌だ、世界とつながる!」と自信満々に偉そうに決めていたので、さて、どうやって生きていこうと10年間試案していました。
田舎や過疎地での強みって何?そしてそれが社会的企業の事業になるには?
と小さな頭で考え、
「フェアトレード」
「オーガニック農業」
「エコツーリズム」
事業の担当がしたいと、履歴書に書いて送ったのでした。
結果、採用。やったー!
採用期間は1年。
1度契約更新して、2年目をもうすぐ終えようとしています。
スリランカでどんなことをしたのか。
そこから何を学んだのか。日本での展開は・・・などなど。
自分の忘備録のために、ゆっくりブログ更新中。
↓写真は「スドゥ(白い)」と呼ばれる猫と仕事中の一枚。
猫愛好家にはたまらない職場環境この上なし。
スリランカ人英語の「I will」「No Problem」「Let's see」が危険な件
さて、スリランカ人と(どっぷり!)仕事をして早2年。
スリランカでは、仕事や生活は、ほぼ英語で行うことができます。
異なる民族・言語の人びとが暮らすスリランカでは、共通語として「英語」が公用語になっているんですね。
この間、仕事のコミュニケーションを通じて、その国の国民性や文化みたいなものが少しずーつ見えてきた気がします。
①まず、スリランカ人(SL)は頼まれた仕事を断らない。そこにはたとえ、自分ができる自信がなくても。つまり、とても体裁を気にするのです。「できない」と言うのはプライドが許さないみたいです。
②しかし、スリランカ人は、ほとんど期日を守らない。いや「期日」の意味を分かっているのか不明。というより「期日」は彼らの人生のなかで、それほど重要な意味をもたない。
③その結果、できないことが先延ばし~先延ばし~になり、ついに十分な準備なしに当日を迎える。もしくは、何も仕事が進まず、その仕事がなかったかのようになる。(仕事を抱えない技術!?が自然とついている⇐日本人は見習うべきかも笑)
④一方、仕事当日になれば、まぁまぁ頑張る。スケジュール通りにいかない、頼んだものと違うものが来る、などのことはたいてい起きるが、反面、不思議とそれほど大きな事故なしに事は終わる。そして、スリランカ人は「わたしたちすっごくいい仕事したね!」と言う、幸福度管理が高い人びとである。
⑤だが、後日。請求書やお金のやりとりでもめる。「いったことと違うよ」「もっと支払って」的な議論が飛び交い、日本人の私的には(準備の段階できっちり仕事しないかからこうなるんだよ・・・呆れ顔・・・)となる。
⑥その後「何をもめてるの?」と(一応)聞くと、ものすごい長い言い訳が始まる(←彼らにとっては、”言い訳”の感覚ではないかもしれない。もめた理由を、ものすごーく詳細に説明してくれるのです←このエネルギーを準備段階で費やしてくれたら・・・と思うこと然り)
⑦最後は、穏便に落着くみたいなので、むしろ”議論””話し合い”を楽しむ人たちなんでしょう。仕事の合間にティーやランチでわいわいと話している様子は見ていて楽しいです(たぶん、ゴシップ・噂話がほとんどなのだけれど、苦笑)。あんまりシステマティック・機械的に働くのではなく、対面(もしくは口頭)コミュニケーションに基づいた、人間らしい働き方をします。
⑧なので、人間関係(いわゆるコネ!)はものすごーく重要。いや、これなしにスリランカでは仕事はできません。だから、みんな肩書とか、体裁とかを気にして①「仕事を断らない」に戻るのね。
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ということを踏まえて、私が学んだスリランカ人の三大危険ワード
「I will」⇒9割以上「しない」
「No Problem」⇒ぜったいに問題は起きる
「Let's see」⇒何も考えてない。時間の経過とともに相手が忘れるのを待つ。
をみていきましょう。
・・・とある日、オフィスにて。
CHISA「次回のプログラム、この予算でいきたいんですけど、大丈夫ですか?」
SL「No ploblemだよ~」
CHISA「本当ですか?この部分とあの部分がちょっと不安なので、確認とれますか?」
SL「OK.OK.No Problem. I will check it」
CHISA「それと、もし追加でこんなリクエストがきたときに、対応できますか?」
SL「Hmmmm.Let's see(ちょっと考えさせて)」
CHISA「じゃ、それも確認できますか?あ、20日までにお願いします。」
SL「OK.OK. I will do it」
・・・その20日が来る。
CHISA「確認の状況はどうですか?」
SL「Ahhh~~~なんのことだっけ?」(⇒忘れてる)
CHISA「この前話した予算とリクエストのことです」
SL「ええーっと、予算は確認できるけど、リクエストは正直誰に確認するべきか分からなんだよねー」(⇒最初から”できない”と言ってほしい)
CHISA「確認がとれない場合はリクエストを受けるのは危険なので、”できない”といいましょう」
SL「No.No. Let's check it」(⇒まだ”できない”と言いたくないらしい)
CHISA「じゃあ、いつまでに確認とれますか?」
SL「Let's see. I will tell you」
CHISA「もう期限の20日が来ているので、今回はやめましょう」
SL「・・・」(⇒不満そう。しかし、彼も日本人が期日厳守なのは知っている)
CHISA「先方には、”次回”リクエストを受けられるか、検討しますと伝えます」
SL「Good. それまでには時間あるしね~」(⇒”できない”と思われないのが嬉しい)
・・・後日、プログラム終了後。
SL「いや~CHISA,ここにこれだけのお金がかかって、それは●●という人が”合意”してたんだけれど、結局AAAAAAという理由で、変更せざるを得なくなって、それでまず余分に◎◎ルピーかかって、そのあとに▲▼の事態が起きたから、◆◆ルピー次にかかって、でもそれってちょっとおかしいと思ったから、●●という人ともう一回話したけれど、そんなの初めからできる価格じゃないよって話始めてさ・・・(略)」
(・・・おわかりでしょう。いかに「I will」「 NoProblem」「 Let's see」を信じることが危険か・・・)
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おそらく、日本人的「英語」だと、↓こんなイメージなんですが
「I will」⇒9割以上「する」
「No Problem」⇒ぜったいに問題は起きない
「Let's see」⇒検討してから、後日相手にお返事します。
そこは、スリランカ「英語」ですからね。
英語の感覚も日本人とまったく違うので、コミュニケーションの際は気を付けましょう。。。
このように、日本と文化の違いを英語一つとっても感じること多々あり。
ここで怒りに任せて「働けるかっ!」と放り出すこともできますが、それは一緒に働く仲間として、また仕事をいただく責務としても、そうはできません。
もちろん日本人の働き方のほうがシステムやルールが明瞭で、”きっちり”している(しすぎている?)んですけど、それをスリランカ人に”おしつける”のはまた違う。
ということで、2年たった今も、スリランカ人と「わーわー」言い合いながら日々働いています。
↓写真は「CHISA、休憩中にココナッツ飲みに行こうぜ」の図。
(この休憩に1時間近くかけたことはいうまでもない)
バナナをめぐる攻防
それは、赴任地に到着して数ヶ月経った頃の夜。
弊社ファームマネージャー(FM)がさらっと放った言葉により、事は始まったのでした。
FM「CHISA, 象のパトロールに行くぞ」
(象?・・・ですと???)
FM「セキュリティ(警備員)から、野生の象が我々のセンター内に入ったという報告があった。バナナを守るために、すぐに見回りにいかないといけない」
CHISA「・・・そうですか。それは、セキュリティの仕事ではないのですか?」
FM「セキュリティは警備小屋(※彼らが滞在している、センター入口にある小屋)から動けないと言っている。もし彼らが警備小屋を離れると、象がそのすきに警備小屋を荒らしに来るかもしれないそうだ」
CHISA「(セキュリティいい加減なこと言わず、仕事しろよ怒)・・・あの、私、象には詳しくないので、ほかの現地スタッフのほうがいいと思うのですが・・・」
FM「ほかのスタッフはすでに家に帰っている。心配するな。私と、象に詳しいスタッフCがいる。それとCHISAで動けば大丈夫」
CHISA「(スタッフ仕事してよ泣)・・・そ、そうですか、わかりました」
ということで、クラッカーと呼ばれる、爆竹のような音で動物を驚かすアイテムと懐中電灯をたよりに、夜9時、3人でバナナを守りにいくことになったのでした。
↓ちなみに、これが象のイメージ
さて、 FMから教えられたパトロール中の手順は、こんな感じでした。
①バナナ農園周辺の道を、まず象の動きに詳しいスタッフCが偵察
②象がいなければ、FMがスタッフCのいった方向に進む。もし象がいた場合は、FMがクラッカーを鳴らして象を驚かせる。
③CHISAは一番最後から、背後から象が来ないことを確認しながら進む(象は群れで移動することもあるため)
FM「絶対に手順を守ること。でないと死ぬ危険性がある」
と脅され、恐る恐る暗闇をバナナに向かって歩きます。
(というより、バナナより人命のほうが大事なのでは・・・)
スタッフC「ほら、ここに新しい足跡がある。象は近いぞ」
FM「いや、まてよ。この足跡の向きからすると、目的はバナナではなく水浴びかもしれない。一度近くの小川の様子を見てみよう」
と、小川にターゲットを変えて進む3人。
スタッフC「見て。ココナッツの木の枝が散乱している」
FM「本当だ。象がなぎ倒して進んだに違いない。よし、私はあっちのココナッツ畑の方向をみてくる」
スタッフC「じゃ、私はこっちの畑を」
っておーい!!!!!手順と違う~~~!!!!
(しかも、どうすればいいの、私~!!!!!)
仕方がないので、ぼーっと暗闇の向こうの川のほうを眺めていると・・・
いるじゃん、象!こっちみてるよー!!!!!
と、まさかの第一発見者、このわたくしなのでした。
CHISA「あのー、川にいます、象!」
FM「なんだって?」
スタッフC「よし、クラッカーを鳴らそう」
となんとか、かんとか、こちらが慌てている間に、ぞうは川の向こうの暗闇に隠れたみたいでした。待つこと数十分。象が現れる気配がないので、その日は退散することに。
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後日。
私がコロンボに滞在中に、象はセキュリティの目をかいくぐり、夜中バナナをたらふく食べて帰ったそうです。翌朝、なぎ倒された無残なバナナの木の残骸が・・・(敗北)
後日の後日。
通常、農場の周りには、象よけの電熱線がはってあるのですが、象も賢い。
電熱線に電気を送るジェネレーターを探し当て、それをアタックするという行為に(!)。
これで無効と化した電熱線をさらりとかいくぐり、バナナ(しかもオーガニック)食べ放題にいたっています・・・(完敗)
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電熱線システムがなかった昔は、象の見張り役の村人が、木の上につくった見張り小屋で象を監視し、象を発見後に、それはそれは上手に象を畑から追い払ったそうなのですが、現在ではそれをできる村人も少なくなってきています。
人間がシステムを近代化すれば、象も当然学習してそれに対応するわけで。
また、田舎にも押し寄せる近年の村開発によって、象も、彼らが独自にもっていた従来の移動ルートから外れることを余儀なくされるそう。それで、迷い子になる小象さんたちが、写真の孤児院に行くことになっているそうな。
どういう風に象と一緒に生きていくのか・・・うーん、考えさせられますね。
それでは、今日もよい一日を。
合掌