29歳からのスリランカ

仏教・オーガニック農業・日常のこと…を等身大目線で綴った人生初ブログ。

非営利組織で働いていた私が、民間会社をスリランカ就職先に選んだ理由

ちょっと真面目な人生の話。

 

大学院卒業後~渡航前、私は2つの公益財団法人で働いていました。

戦前・戦後直後に仏教界の方々によって、社会のために行う慈善事業を目的に設立された、由緒ある財団です。

 

東日本大震災直後に就職ということもあって、その当時の仕事内容は、

 

①震災関連事業(こころのケア、奨学基金設置など)

②コミュニティ再生事業(被災地ならびに過疎地域)

③国際協力事業(インド・ミャンマーのこどもたちへの教育支援)

④会計主任

 

などなど、いわゆる「非営利」事業を中心に担当させていただきました。

 

そんな私が、なぜスリランカの民間会社で働くことになったのか。

 

理由①「非営利」組織への限界も感じていたから

非営利事業とはいっても、そこで働く職員にはその人の人生もあり、家族もいます。そして事業遂行への責務や対価は、株式会社であっても非営利事業であっても変わるものではありません。では、非営利組織はどのように組織運営(事業計画・会計運営)をしているのか。

 

会社であれば、例えば物を販売し、その利益でもって、社員の給料・次年度の事業計画や予算へとつながっていきます。

 

非営利組織の場合は、その財源は「寄付金」や「助成金交付金補助金」がほとんど。職員や法人は、公募される助成金へ応募書類を提出し、それが通れば事業の財源確保ができるという仕組みです。しかし助成金は、現在では1年~数年単位の任期付き・使い切りのものが多く、各団体、必死になっていろんな助成金に応募されているようです。助成金で足りない分は「寄付金」で補ったりするんですが、寄付とはそもそも善意から生まれるものですし、景気によっても左右されます。

 

もちろん、非営利組織であっても、「営利」事業を行い、その利益を「非営利」事業へと分配することで財源を確保している法人もあります。しかしやはり非営利組織という手前でしょうか、そんな暴利を働くことは(モラル的に)「うーん・・・」となるみたいで、毎年営利を安定的にあげることができる団体は・・・果たしてどれほどでしょうか。

 

震災支援、コミュニティ再生事業や、ミャンマーの子どもたちへの未来・・・・

「もしも助成金がとれなかったから、この事業は1年で終わり。自分や他のスタッフの給料もでない」

という状況に、悶悶とした気持ちを抱えていたのでありました。

(上司は悶悶どころではなく、相当なプレッシャーだったことと推察します)

 

・・・と、前置きが長くなりましたが、つまり、日本の非営利組織は、長期的にみたときに組織運営上ものすごく不安定!・・・な感じが否めず、一度は民間会社で働いてみたいと思っていたのです。

 

 

理由②世界的なリーダーのもとで、組織運営を学んでみたかったから。

そんなとき、「スリランカで働いてみたい?」と私に声をかけてくれた民間会社の会長さん。

実は、彼はスリランカで1番有名な非営利組織で数十年働き、その後独立し、自身の非営利組織を立ち上げます。その直後に発生した数々の自然災害(インド洋津波)やスリランカ内戦(最後の激しい戦い)・・・によって組織に何がおこったのか。

 

寄付金バブル。

 

海外から、ものすごい金額の寄付金・助成金が舞い込み、組織・事業やスタッフ規模も国内中で拡大しました。スリランカでは、インフラは整い、被害を受けた人々の家も建ち、生活の基盤ができ、「Middle-Income Country」(中所得国)と呼ばれるように。

 

結果、何が起きたか。

 

もはや寄付金はこない。

 

そうです。事業は終了し、公募できる寄付金もなく、スタッフは去り・・・。

日本と同じですね。

そしてさらに悪いことには、住民たちが会長の非営利組織・事業寄付金を”あて”にする癖がついてしまったこと。

「どうせ俺たち、一生懸命働かなくても、あの組織が海外から寄付金もってきてくれるから大丈夫~」(←おい!)

 

ということで、会長は、非営利組織は残しつつも、その規模をぐーーーっと縮小し、民間会社を立ち上げます。それが私が入社した会社。

 

こんな波乱万丈な、酸いも甘いも経験された会長のもとで直に働けるチャンスはそうないと感じた私は、2つ返事で「あ、はい、スリランカ行きます」と回答したのでした。

 

③住民”へ”の事業ではなく、住民”と”の事業を模索したかったから

いわゆる「社会的企業」「ソーシャルビジネス」って言うんでしょうか、日本では。

社会問題の解決を目的に、収益事業にとりくむ法人や事業をさします。

私が入社したスリランカ民間会社もそれにあたります。

 

会長から「スリランカで何したいの?」と渡航前に聞かれた私。

 

私は、W県の田舎出身、まわりは農地、過疎万歳!という状況を経験し、東京の大学・大学院で学び、働きました。

大学当時から「絶対に将来は田舎に帰る」「でも田舎の閉鎖的な空間は嫌だ、世界とつながる!」と自信満々に偉そうに決めていたので、さて、どうやって生きていこうと10年間試案していました。

田舎や過疎地での強みって何?そしてそれが社会的企業の事業になるには?

と小さな頭で考え、

フェアトレード

「オーガニック農業」

エコツーリズム

事業の担当がしたいと、履歴書に書いて送ったのでした。

 

結果、採用。やったー!

 

採用期間は1年。

1度契約更新して、2年目をもうすぐ終えようとしています。

スリランカでどんなことをしたのか。

そこから何を学んだのか。日本での展開は・・・などなど。

自分の忘備録のために、ゆっくりブログ更新中。

 

↓写真は「スドゥ(白い)」と呼ばれる猫と仕事中の一枚。

猫愛好家にはたまらない職場環境この上なし。

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