渡航~5日目;最大の謎「カルマ」
渡航前のことはずんっとすっ飛ばして(※後日書きます( ;^ω^)・・・)
忘れもしないスリランカ生活1日目@空港。
恥ずかしながらスリランカとはどんなところかもわかっておらず来たわたくし。
(…ま、インドいったことあるし、インドに近いし、インドみたいなもんでしょ)
しかもスリランカ企業で働くために来たわたくし。
レジデンスVISA取得のために、スリランカ人担当Uと入念にSkype打ち合わせまでしたわたくし。
悠々とVISAを入国審査で見せるも「これ許可できないね。後ろのデスク言って」
(・・・なんで!?Uさん!何にも悪いことしてないよ!!!!)
早速スリランカの洗礼を受け若干パニック(だって入国不許可だと働けないよ、私)になりながらも、デスクで事情を話すこと10分。
入国管理官「ノープロブレム。ノープロブレム。イッツスモールミステイク」
CHISA「OK? OK? あーOK!!!!」
入国管理官「ハッㇵ―。イッツ ユア カルマ! ドントウォーリー」
CHISA 「(ん? カルマ? なぜカルマ?) Anyway, Thank you」
・・・と、腑に落ちないまま空港を後にしたのでした。
この日は夜も遅く、コロンボ中心部に滞在。
翌朝、せっかくなのでコロンボ市内を散策してみました。
↓こんなタワーや(実はここ、貿易センタービル)
↓いいかんじの交差点まであったりして(牛なし!)
おー!インドではない!!!(あたり前。)
コロンボ近郊の発展具合に驚きつつ、ルンルン♪気分で散策を続けるわたくし。
しかし、ですね。よく見ると、ビルの前や交差点の道端で物乞いをする人びとの姿がちらほら。なかには、肘からしたの両手・片手を失った方、両足をなくされて路上に座っている方も。
彼・彼女たちの横に置いてあるドネーションボウル(寄付をお願いする箱)に、道行く人びとは、コインや少額のお札をそっと入れていきます。それは「私、いいことしました」という感じではなく、さらっと。ごく日常の挨拶のように、自然な流れで。
その日、少し悶々としながら過ごしつつも、なんとか会社スタッフ(直属上司P)と面会し、数日後には赴任地へ向けて出発することに(さらばコロンボ・・・)。
(道中、ええーどこまで行くの?え?ここ、赴任地!? の状態だったことは割愛)
上司P「Hi,CHISA。ようこそ君の赴任地へ。・・・(中略)・・・ところで、今疑問に思っていることはないかい?」
CHISA「はい、あります。まず、物乞いの方々について。彼らに対して、どのように接するべきなのか、迷っています。"ビジネスとして物乞いを行っている者もいる”という記事も読んだことがありますが、実際生活に困っている方がいるのも事実だと思っています。少額の"寄付”をするという態度は、彼らや社会のためにいいのかな・・・とジレンマを感じます。アドバイスください」
上司P「うーん。寄付をするかしないかは、君次第だね。というのも、彼らが今物乞いを行っているのは、ある意味カルマだからね」
CHISA「(またでたっ!)カルマ!?」
上司P「うん。前世の悪い行いによって、現世は物乞いとして生きているわけだから…それはカルマとして受け入れることなんだよね」
カルマ(業:「ごう」)とは、とは、行為、所作、意志による身心の活動、意志による身心の生活を意味する語。仏教およびインドの多くの宗教の説では、善または悪の業を作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じるとされる。*1
CHISA(あーうー。。。つまり、自業自得ってことね。。。でもそれって、現世での「平等」とか「人権」とかを放棄するってことなのかしら?)悶。悶。悶。悶。悶。。。。
上司P「でも、彼らが現世で善い行いをすれば、来世はいい生活を送れるかもしれないしね。その逆もだよ。いまお金持ちの人も、悪いことしたら、来世はどうなるか分からないしね。ま、そんなわけで、CHISA、もし君がかれらに寄付すると、それは仏教でいう”喜捨”(布施、施す行いのこと)だから、君の善いカルマを積むことになるんだよ」
CHISA「なるほど。寄付するのは、物乞いの人びとのために、ではなく自分が善い行いをする、ということなんですね・・・(中略)・・・ところで、私、入国管理の時にVISAがうまくいかなくて、それもカルマって言われたんですよね」
上司P「あーそうだったの。じゃ、前世で何か悪いことしたのかもね、君(笑)」
CHISA「・・・そ、そうですね。前世でね・・・カルマですね(汗)」
ふ、深い…"カルマ”・・・
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後日談。
スリランカ人はけっこう普通に「カルマ」を連発します。
例えば、クリケット(野球に似た人気のスポーツ)をしているときに、ピッチャーの投げた球がバッターの股間にあったって、彼が悶絶した瞬間(痛そう・・・、いや、私、女子なので痛さの加減はわからないですけど)
「ははー!カルマだー!(一同大爆笑!!!)」
(前世でどんなことしたら、こんなカルマにあうのかしら…)
と、いうことで。
いいことがあっても、悪いことがあっても、「カルマ」を口にするスリランカ人。
考えようによっては、とってもハッピーな生き方かも、と思うこの頃。事実、スリランカ人はとっても楽観主義の方が多い気がします。悪いことがあっても、人生につまづいても、「カルマだからね、ははっ」と、流す“強さ”も見えたりして。
まあ、深く考えずにカルマの一言で片づけてしまうのもどうかと思うのですが、それもこの国のお国柄・・・
とはいいつつ、最近私も「カルマ」を使いこなしています。
忘れ物をした人に「あ、それはカルマだからね(しょうがないよ、気にしないで)」っていう感じに。
今私がスリランカのお寺でこのブログを書いているのも、何かのカルマってことなんでしょう。そして、このブログをご覧いただいているみなさんとのご縁も、何かのカルマかもしれません。
では、今日もいい日でありますように。
合掌