スリランカで働くもうひとつの理由、仏教
さて、前回長々とスリランカ民間会社を就職先に選んだ理由を記しましたが・・・
↓こちら。
これは、THE 「表」の理由。
物事には何かにつけて表と裏がある・・・ってことで、今回はスリランカで働く「裏」の理由を書いていきます。
えーなになに。どんな裏取引やってるの、はたまたスパイか!?
ってことではないので汗、悪しからず・・・。
はい、タイトルにもあるように、スリランカで暮らしてみたかった裏の理由は、仏教。
実は私、生まれ育ったのが日本の田舎のお寺、父は住職、という経緯で、仏教になじみ深く育ってきたのでありました。
「仏教?ん?それってお釈迦様が悟りをひらいてどうこうっていう宗教?」
はい、その仏教です。
ところで、食品会社関連に「食品新聞社」なるニッチ団体があるように、仏教という業界にも、かなりコアな団体がいくつも存在します。
例えば、
仏教青年部・婦人会など・・・その名の通り、青年や婦人のみが所属活動できる
布教部・・・お経や仏教の教えを広めるための考案委員会的なもの
INEB・・・Internatinal Netork of Engaged Buddhistの略で、非営利活動や環境問題・社会問題に取り組む仏教者の世界レベルでのつながり
などなど。
で、私はこのINEBという団体の会議運営のお手伝いをしたことがきっかけで、大学生のころから日本や世界の仏教徒の友人や先輩がたくさんできることになります。
彼らの生き方や考え方に影響されて、仏教という視点をもって外国を見てみたいな、と思ったのがそもそもの出発点。
スリランカは国民の70%が仏教徒ということもあって、私的には「うまー( ´艸`)」な国なのでした。
で、その仏教。
具体的にはこんな見てみたい・知ってみたいポイントがありまして。
①他の国の仏教の”リアル”を体感して→自分にとっての仏教を見つめなおしたかった
実は日本の仏教(お寺や僧侶)って、他の国の仏教からすると、かんなり特殊な発展形態をとげて今日に至っています。
・なんでお坊さんって結婚できるの?
・肉とか酒とか・・・そもそも禁止じゃないの?
日本の仏教への疑問あるあるですね。
仏教徒や僧侶が守る生活基盤を「戒律」というのですが、日本仏教は近代化の過程でこの戒律を意識的・無意識的に失ったりなくしたりして、現在にいたっています。
→じゃあ、それはもはや仏教なのか?
→いや、そもそも私にとっての仏教って何なのか?
ここからマニアックな話。
いわゆる仏教には、大別して①上座部(テーラワーダ/南伝)仏教と、②大乗(マハヤーナ/北伝)仏教があります。
①上座部仏教は、戒律を守り、出家者(僧侶)と在家者(僧侶以外)の区別をしっかりと行うことで、在家者は悟りを開くであろう僧侶に布施をし、徳をつむという仏教です。
対して②大乗仏教では、僧侶も在家者も悟りを同じくひらけるとうたう仏教で、戒律よりは慈悲のこころや施しを行うことを重視する教えが根底にあります。
日本は②の大乗仏教が主に伝わった国。そしてスリランカは①上座部仏教。
スリランカという異国の地の仏教のリアルを見て、体感して、
「仏教とはなんぞや!?」を考える機会を持ちたいなーと思っていたのでした。
②お寺とかお坊さんとか、どうやって社会とかかわってるの?
お寺とは・・・
本来、誰もが自由に出入りできて。
うれしいときも、悲しいときも、困ったときも、怒ったときも、
ぷらーっと立ち寄れば、そんな感情を、お坊さんやそこに集う人びと、もしくは仏様やお墓のご先祖様と自由にシェアできる公共空間・・・
であった!そしてそうあるべきだと思っているのですが、みなさんどうでしょう?
日本では、昔から地域行事や仏事を通じてお寺に集まり、祈り、そこで生まれたコミュニティメンバー同士が助け合うという機能(Function)がありました。地縁・血縁を通じた共同体ってやつです。
それが失われかけている今、ちまたでは「葬式仏教」(←葬式しかしない寺院と僧侶)っていう批判(!?)用語も存在し、はたまた、過疎にあえぐ田舎では、お寺や地域そのものが消滅するとか云々。。。
最近では、”社会に寄り添うお寺”のようなコンセプトで、
こども食堂や、路上生活者支援、サマーキャンプのような社会活動を行っているお寺もあります。
内戦終了後、社会が経済発展に向けて目まぐるしく成長する過程で、
スリランカのコミュニティ自体はどうなっているのでしょうか。
そこに、お寺や僧侶はどのように関わっているのでしょう。
これらを感じるためには、やはりその土地に住んで、ある程度時間をかけて物事をじっくりと見る必要があると思います。
ということで、2年間かけて、スリランカの仏教の”リアル”、
あくまでも私が感じた”リアル”ですが、
これからブログにてぽつぽつ書いていこうと思います。
では、今日もよい一日を。